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【突発的なある日の出来事】

「mariage-マリアージュ-Vol.1峯岸達己編」ショートストーリー




俺の婚約者は「たっちゃんはスケジュール管理がすごい」と言う。
職業柄、順調な進行を心がけるクセがついてしまったので多少の強迫観念があるのかもしれない。
(実際、旅行行程にはトラブルとハプニングがつきもの。それをどう切り抜けるかで添乗スキルを試されるわけである)

なので彼女は突発的な俺の行動にはあまり慣れていない。
只今の時刻は午後6時ジャスト。
彼女はまだ派遣先にいる時間だ。
その最寄り駅にいると知ったらびっくりするだろうか?
わくわくしながらラインを送る。

「仕事もう終わった?」
2分ほど待って既読が付く。
『終わったよ。今着替えてたところ』
「今駅にいるんだけど。待ってても大丈夫?」
『何かあったの?』
「ううん。ちょっと付き合って欲しいところがあるだけ」
ピロッと音を立て返信が来た。
トーク画面ではスタンプのスケート男子が【了解しました-】と華麗に滑っている。

家路を急ぐ人混みの中、彼女を待つ。
このひとりひとりに家があってみんなそこに帰るんだな、と当たり前のことを考えた。
ひとりの部屋に帰るのがしんどくなったのはいつからだったろう。
寝起きのままで出ていったベッドの布団が、帰宅後朝と同じ形で残っているのがやけにさみしいと思えた日があった。
彼女と正式に恋人同士になった頃のことだと思う。

攻略するのが大変だったので(なんせ恋人にするまで1年かかった)手に入れた時の喜びは、そんじょそこらの「彼氏ども」の比じゃなかったはず。
それで「絶対に手放したくない」→「嫁にしなきゃ」の流れができたんだろうな、などと自分を分析していると。
人の群れのはるか彼方で、最愛の人がポツンと点となって見えた。
俺はどんなに沢山の人がいても彼女を見つけ出す自信がある。

-待たせてごめんね!出掛けに電話がかかってきちゃって
婚約者が息を切らせて近づいてきた。
「いや、こっちが勝手に来たんだから。おまえが謝るのはおかしいよ」
(でもおまえのこういうところが大好き)
並んで歩きながら『どこに行くの?』『何の用事?』とも尋ねてこない。
これもおまえの特徴。詮索は一切しない。
信頼されてるよなぁと思わず背筋が伸びた。

オフィス街から繁華街に向かう。
「お腹空いてる?」
-……ううん。そうでもない
「今、一瞬、間(ま)があったぞ」
-残念なことに、わりといつでも空いてるんだよね、私って……
確かにそうだ。
「ご飯は用事を済ませてからでもいい?閉店時間が8時なんだ」
-いいよ
-?閉店時間……?あ。付き合って欲しいところの?
「おまえなぁ、反応おっそいよー」
つないだ手から笑う俺の震えが伝わったらしくぎゅぎゅぎゅと握り返してきた。

いわゆる商業地でも一等地と言われるビルの前で俺が立ち止まる。
「頼んでたものを取りに来たんだよ」
-そうなのね
「結婚指輪だよ」
ハッとした顔が次第にじわじわと嬉しそうにほぐれる。
笑いながらおまえの背を押してビル内に入った。



そして1時間後-
湯気の立つ蒸し器を開けるとそこにはぷるぷると震える小籠包が鎮座している。
何とかいう名前の魚は熱々のネギ油をかけられて香ばしい匂いを放っている。
だが、本場の中華を楽しめる評判の店に来たというのにこの人は。
ぼうっとした顔でずっと左手の薬指を見つめたままだ。
「食べなよ、冷めないうちに」
-うん
とうなずくものの右手の箸は止まっている。

「もしかして気に入らない?おまえ好みだと思ったんだけど」
-ううん、そんなことない。すごく気に入ってる
「よかった。刻印が完了したって連絡もらったからさ、早く取りにいきたかったわけ」
-そうか……
「まだ何か気になるの?」
-まさか付けて帰るとは思わなくて。それで驚いてるの
そりゃそうだよ。それが狙いだ。

「それでおまえはもう【売約済】ってことだからね」
-婚約指輪もあるのに?
「『こんな高いもの失くしたら大変』とか言って普段つけてくれないんだもの」
-そっか……それは失礼しました
おまえを見つめる俺の指にも同じ物が光っている。

気持ちが落ち着いたのかようやくおまえは箸を使い出した。
どうしようかな。
実は婚姻届も手元にあるんだ。
今晩一緒に記入しようと思っているけれど、それはこの食事が終わってから話した方がよさそうだ。
今日は俺の突発行動に驚いてばかりだろうし。

-魚、美味しいねぇ
「うん、すごく柔らかいな」
これはいつもと変わらない俺たちの会話。
こうやって変わらない習慣と新しい習慣をすり合わせながら2人の日々を作っていくのだろう。
もうすぐ俺たちの長い旅が始まる。
トラブルやハプニングもあるだろうがきっと何とかなる。
大丈夫、俺は旅程管理のプロフェッショナルなのだ。

(了)