Tunaboni CollectionsはオリジナルドラマCDのレーベルです。

【おふとん】

「ヴァン-私が愛したスパイ」ショート・ストーリー




連れてきちまったのはいいが、いざ家を目の前にすると自分でも躊躇した。
(……ガキなんか連れてきていいところじゃねぇよな)
思ったとおり、こいつも目を丸くしている。
「……ここがヴァンのおうち?」
「ああ、そうだ」

もともとは小間物屋の物置で、そこのせがれとつるんで悪さをしていた時にふたりでヤサとして使っていた。
当の小間物屋は商売を広げるとかで別の土地に親子で移り住んでいった。
ありゃあ多分、せがれを更生させようってことだろう。
そのまま俺を住まわせてくれたのは、母屋と店に不審者を近づけるな、というつもりらしい。
「番犬」扱いだが、俺が不審者の筆頭だってことは当のせがれがよく知っている。
案の定、金目のものは何一つ残していかなかった。

「ヴァン、いいシノギがあったら呼んでやるぜ」とニヤリと笑ったあいつの顔を思い出す。
そういえば、かれこれ一年くらい経つが何の音沙汰もない。
真面目に働いているか、俺のことを忘れたか、しくじって死んじまったか。そのどれかだろう。

小さな白い顔が俺を見上げている。
そうだった。こいつを一晩泊めるんだっけ。
「店の横にある公衆便所に行け。戻ったらそこの井戸から水を汲んでよく手を洗え。チフスが怖ぇからな」
そう言うと首を横に振る。便所に行きたくないらしい。
……こいつ、漏らしたりしねぇかな。
不安になったので抱きかかえて便所に無理やり押し込んだ。

「ヴァン、いるー?」
「いるぞ」
「……出た―」
「……そりゃよかったな」
……こんな酔狂、誰にも見られたくねぇぞ、おい!
待つ間、電信柱を見上げていたら、てっぺんに欠けた月がちょこんと載っていた。
辺りは夜の静寂。空気はしんと凍っている。

家に戻り引き戸を開けると、当然のことながら中は薄暗く、9歳のガキは足音も立てずにこわごわと入っていく。
その様子が用心深い猫みたいでなんだか笑えた。
明り取りのランプを点けると興味深そうに中をきょろきょろと見回していたが、その目の下にうっすらとクマができていた。
なるほど、お子様はおねむの時間だ。

「眠いんだろ?もう寝ろ」
「お風呂に入りたい」
【お】風呂か。さすが領事館だ。
「……ここにはねぇ。母屋の据え風呂をたまに借りるが、今から水汲みをしたくねぇし薪も勿体ねぇ。今日は風呂はナシだ」
すると、心底がっかりした顔になる。ちびでも女だな。
しょうがないので、流しの前につれていき柄杓を使って顔を洗わせた。
「じゃあ、もう寝るんだぞ」
「……私のおふとんは?」
【お】ふとん。また【お】がついてやがる。
「おまえさまの【お】布団などはございませんね。……俺の布団ならそこにあるのがそうだ」
「……使っていいの?」
「……しょうがねえだろ。使えよ」

うん、とうなずくや否や、ササッと素早く布団の中に潜り込む。
そうか。寒かったんだ。それで風呂に入りたかったのか。
そういえば、こいつはずっと寝間着のままだった。
……我慢強いのかな。
父親が亡くなったと聞いて驚いていたが、悲しんではいなかったし。

「……いや。ピンと来てねぇのかも」
「なあに?」
「なんでもねぇ。寝ちまえ」
父親がこの世から消えていることをよくわかっていないんだろう。
それどころか【死】そのものをわかっているのかどうか。
目の前で命の火が消えていく瞬間を、この歳のガキが幾度も経験したとは思えねぇ。
あのすぅぅっと背筋が冷えていくような感覚……いいや。
親の無残な死に様なんか知らねぇ方がいいに決まってら。
おまえ、見なくて良かったぞ。
悲しみも寂しさもずっと後でやってくる。おまえがもう少し物がわかるようになったらな。

しかし。
なんで俺はこいつを連れてきちまったんだろう。
火事見物していた大勢の中にまぎれこませて、置いてけぼりにすることもできたのに。
「……お巡りに会っちまったからだな。きっとそうだ」
「ヴァン?」
「なんでもねーよ。寝ろ」

巡査に会わず、あの場で置いてけぼりに成功したとして。
あんだけ人の数がいたんだ、親切なおばちゃんが「迷子だね」と、こいつを交番に届けるだろう。
すると、いろいろ調べたあげく、領事館に住んでいるガキだということがわかり……
領事館に忍び込んでいた俺の風体をこいつが巡査に喋り……うおっ、冗談じゃねぇぞ!?
放火をしたのは俺ってことにされちまうだろうが!!

「よし、さすが俺だ!連れてきて正解だった!」
「ヴァン、うるさい……」
「はぁ?」

いけ図々しいガキだ。我慢強いんじゃねぇ、図太いんだ。
「おらおら、どけ、俺の場所を空けろ」
ことさら乱暴に隣に潜り込むと、むーんと唇を尖らせるので、遠慮なくつまんでやる。
「ちっせぇ口。人形かよ」
からかわれたことに気をよくしたのか、にこにこと笑いかけてくる。

「一緒だとあったかいね」
「こんな布団でか?おまえは明日からふっかふかの【お】布団で眠れるんだぞ。いっそ羨ましいね」
「じゃあ、ヴァンも一緒に住もう」
「……住めねぇよ。俺みたいな男には縁がない場所だ」
「なんで?」
「……花街ってのはそういうところなの。もう寝ろ」

背を向けると、諦めたような小さなため息が聞こえた。
やがてそれは寝息に変わってしっとりと部屋の空気を潤していく。
ふと、自分の身体が背中越しに温もってきたことに気づいた。

【犬と子どもの体温は高い】
それを教えてくれたのは誰だっけ……?
古い記憶をたぐりよせたが思い出せそうもない。
それに一体どういうわけか、こいつの寝息はやけに耳に心地いい。
……あーあ。おかしな晩になったもんだぜ。


(了)